戦争広告代理店

 


    情報操作とボスニア紛争  講談社
      スパイ小説を超える傑作ノンフィクション

「病院に入ってきたイラク兵は,保育器から赤ちゃんを1人づ つ取り出し、床に投げつけました。冷たい床の上で赤ちゃんは息をひきとっていったのです」米議会公聴会,奇跡的にクウェートより脱出しアメリカに奇跡的に 逃れてきた15歳の少女の証言。
「だがナイラの証言は,仕組まれた情報操作だった」
この議会証言にブッシュ(父)大統領は「心の底から嫌悪感を感じる。こうした行為を行うものは相応の報いを受けることをはっきり知らせてやらなければなら ない」と語った。しかし、ナイラはずっとアメリカにおり、クウェートには行っていなかった。それどころか、彼女はクウェート在米大使の娘だった。
このことは、湾岸戦争終結後、ニューヨークタイムズ紙によって発覚し、ABCの看板番組[20/20][60minutes]で特集され、クウェート政府 とその広告代理店「ヒルノートン社」の醜いスキャンダルはダーティーなイメージを強烈に残した。


      ルーダーフィン社ワシントン支社ジム・ハーフ国際政治局長
同社における国際紛争のエキスパート。
演出された正義。誘導される国際世論。
ボスニア紛争の勝敗を決したのはアメリカPR企業の陰の仕掛け人たちだった。

紛争当事者の片方と契約し、顧客の敵セルビア人は血も涙もない連中で、モスレム人は虐げられた善意の市民たちというイメージを世界に流布することに成功す る。
その上で、自分たちのビジネスは「モラルを最も重視しています」といい続ける

泣かない赤ちゃんはミルクをもらえない
     

1992年4月14日ベーカー長官はハシライジッチ・ボスニア・ヘルツウェゴビ ナ外相に「西側のメディアを使って欧米の世論を味方につけることが重要だ」と強調した。
さらにタトワイラー報道官は具体的なアドバイスとして「ボスニア・ヘルツウェゴビナにCNNのクルーは入っているのです か?」と尋ねた。
アメリカには世界中から問題をかかえた外相がやってきて助けてくれ,助けてくれと懇願する。しかし、国民のサポートなしに彼等のたのみを聞いてやること はできないのです。
国民が支持していないのにそういう国の救援に動くことは”政治的な自殺行為”といってもよい行為です。政府の外交行為は議会によって監視されていますから ね。議会は国民の世論が賛成しない政策には予算をつけません。そして,アメリカ国民に声を届かせるには、何よりもメディアを通して訴えることなのです」
                  戦争広告代理店


ルーダーフィン社のCEOデビッドフィンはユダヤ人であることを誇りにしてきたが、そのために、このボ スニア・ヘルツウェゴビナ外相の仕事を紹介されたときに問題となったのは、前年のクロアチア共和国からの仕事の依頼を含めて、クロアチアナチス協力者の 関係、ボスニアでのモスレム人とユダヤ人の関係などの問われた。クロアチアを「平和国家」と宣伝できるのなら、どのような国家でも樹立できる.
(まあ、ね!)
まあ、安直に言えば、ここで「ユーゴスラビア解体業」に乗り出したのだ。


1992年春ルーダーフィン社の第一次段階戦略「アメリカと各国指導者の脳裏にボスニアの情報量を劇的に拡大し、「民族浄化」衝撃と注目を集める」メッセージのマーケティング

1992年9月22日国連総会でのユーゴ追放決議議決。


ユーゴ側は、イゼトベゴビッチボスニア大統領に絞って攻撃をかけた。
「大統領はイスラム原理主義者である」
彼はチトー共産党政権下で政治犯として投獄され「イスラムによる統治が真の民主主義者だ」と書き、イスラム国家設立の必要性を説いていた。
「どんな人間でもその評判を落とすことは簡単だ。根拠は別にして、悪い評判を繰り返す。テレビの視聴者や新聞の読者は簡単に信じてしまう」

戦争PR会社の テクニックvs戦争PR会社のテクニック。
ボスニア側は、「人種のるつぼ」「多民族国家アメリカ人にとって快適な”多様性の美学”、民族浄化でなく民族共存を訴えた。

(いずれにしても、民族主義者だからヨーロッパ最強のサッカーチームのユーゴを解体したのだが、、)

 


ハーフが「民族浄化」を広げるためにねらいをつけたターゲットが大新聞の「論説委員会」だった。 論説委員がニュースの主役を呼び、直接話しを聞くという会合だ。
「論説会議に狙いをつけるというのはワシントンの住人には当たり前の初級テクニックにすぎません
そこで、出席するとどのようなことが起きるのか(外相に)詳細にインプットしました」


「私たちがクロアチア政府の仕事をしたとき、一度、ホロコーストという言葉を使ったんです。そうしたら、アメリカのユダヤ人社会はこの言葉が使われたことに不快感をあらわにしました」そこで、ホロコーストナチスという言葉は注意深く使われなかった。「ホロコーストとは比べられない。そういう比較は賢明な人間のやることではない」

第2次世界大戦の時、ナチスクロアチア純血政策をとり多民族国家ユーゴのゲシュタポとしようとした。ナチスの傀儡であった当時のクロアチア政権は異民族である「セルビア人狩り」を行い190万人のセルビア人のうち30万人が殺された。すさまじい虐殺であった。バルカンの呪われた言葉が歴史の封印から復活したのだった。